思い描く力。

日記。

軽井沢高原教会の日曜礼拝に、友人と一緒に、訪れました。

静かな森に佇むこの教会。温かみのある木材と光の照明、控えめながらも愛らしい白い花々で彩られた空間のおかげでしょうか。訪れる人々の心をほっとさせてくれます。

先日はじめてこの教会を訪れた時に、感じるものがあって。また、今月もまた訪れてしまいました。気に入った場所は、ついつい何度も足を運んでしまうのです。

毎週日曜日の午後に催される日曜礼拝は、ゴスペルの歌と牧師さまのお話を聴くことができます。

今回のお話は、「願うとは、思い描くということ」、について。

聖書からの引用です。母親に苦しいという意味の「ヤベツ」と名付けられた一人の男がいました。不幸な生い立ちの彼は神に願います。「どうか、私を祝福し、私の領土を広げ、私を災いからお守り下さい」、と。神はヤベツの願いを聞き入れられました。

ここでポイントは、ヤベツが、願いを『思い描いた』という点です。不幸な生い立ちの彼は、神に願いを要求するのではなく、『思い描いた』。

Imagination(想像力)を働かせて、自分の明るい未来を描いたのです。この男は、己の逆境を、想像力によって乗り越えたのです。

この『思い描く力』こそ、すべてのはじまりです。それによって思考・言葉・行動がつくられ、それらによって、現実が変わっていくからです。

 

茨木のり子の詩「寄りかからず」ではないですが、最近はできあいの思想というものに影響されたくないと思うようになりました。すべては自分の心で決め、責任をもち人生を作っていきたいと思うのです。

とはいっても、やはりピンチの時にはつい神頼みをしてしまう私です。でも、そもそも「願う」ってなんだ?という疑問がわいてしまいました。私はいつも願い事を神様に祈っているけれど、それは、なんといいますか、とても浅いレベルのもので、本当の意味での「願う」ではないのではないか、と。

今回教会を訪れて、「願う」ということについて、少し、理解することができたかな、と思います。

「願う」という行為は、心で描いた幸福への決意を神に何度もきいてもらい、反芻することによってその決意を心の底まで深め、思考・言葉・行動によって現実を思い描いた方向へと動かす力の源にする、そのレベルまでにもっていくために必要な儀式なのかな、と思いました。

コメント